教育法学の学説や子どもの権利思想と法解釈実務との乖離

裁判官・弁護士といった実務法曹が学校法務に関する問題を扱う際に、最初に混乱するのは教育法学の学説や子どもの権利思想と裁判所での法解釈との間の乖離です。我が国の教育法学は、日本国憲法、旧教育基本法の成立経緯の影響を受けた特殊な展開をしており、そこに1990年代に我が国が批准した子どもの権利条約による影響もあり現在に至っていますが、そこでの議論は判例とも教育学の学問的知見とも乖離していることがあります。

教育法学の展開と子どもの権利思想の接合

日本国憲法と一体としての旧教育基本法の重視

教育法学の展開についての正確な理解は専門書に譲るとして、我が国の教育法学の最大の関心が、「国家による教育への介入の抑止」にあり、そのために「教師の教育権の確立」を目指し、理論を磨き社会運動(教員組合の活動)につなげてきたということができます。ドイツに由来する内外事項区分論、すなわち国家は教育の外的事項(施設、予算等)の整備は行うことができる(又は積極的に行うべきである)が、教育の内的事項(方法、内容等)には介入してはならない、というのが基礎にあります。

実定法上の根拠として、かつては日本国憲法23条が用いられることもありましたが、最高裁が高等学校以下の学校への適用について否定的、限定的な立場を明らかにしたため、ある時期以降は強調されなくなりました。旧教育基本法10条が、1項で「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」と定め、2項で「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」と定めており、内外事項区分論に適合した解釈ができる文言であったことから、同条を根拠に教育内容への国家による介入を排除しようとしたのです。

さらに、教育基本法の制定の経緯に着目して、その地位を高めるとともに改正へのハードルを上げようとしました。すなわち、日本国憲法と一体となって戦後の民主国家を樹立するための根幹である教育について規律する法律であることから、「準憲法的効力」を認めたり、他の教育法令は教育基本法に適合するよう解釈しなければならないという準則を設けることで、通常の法律のように議会の立法によっても容易に変更することのできないようにして、国家による教育への介入禁止を維持しようとしたのです。

子どもの権利条約と弁護士会の委員会構成

1980年代から上記の教育法学の動きとは別の動きがみられるようになりました。子どもの権利条約は1989年に採択、1990年に発効し、我が国は1994年に批准しました。弁護士会において、1980年代に少年法改正反対のプロジェクトチームが作られていたのですが、このチームが子どもの権利条約の発効、批准に合わせて「子どもの権利委員会」として発展することとなりました。現在では、日本弁護士連合会はもちろんのこと、各地の弁護士会(単位会)の多くにも子どもの権利委員会が設置されています。

学校教育について、どのような観点から法的に切り取るのかについては、様々な考え方があるところです。例えば、学校の多くが公立学校であり、国又は地方公共団体の組織であることに着目すれば、行政法の一領域として切り取ることができます。また、学校が物的、人的資源を有した組織体であることに着目すれば、法人法の一領域として切り取ることもできます。しかし、上記の経緯で子どもの権利委員会が設置されたこともあり、弁護士会はもっぱら「子どもの権利」という観点から切り取っており、多くの弁護士が無自覚にその影響を受けています。

子どもの権利思想は、必ずしも全面的に国家による介入に対して抑制的という訳ではなく、児童虐待の防止などの福祉面においては、積極的な国家による保護を求める場合があります。ただ、学校教育に関しては、校則による規律、懲戒や出席停止の処分などの場面はもちろんのこと、テストにおける競争的政策や成績データの管理、就学義務の厳格化、早期選抜などの場面においても、子どもの権利が侵害されることが懸念されるとして、否定的な立場を取ることが多い傾向にあります。

学校法務における影響

現在、学校法務の場面においても、上記の教育法学の展開、子どもの権利思想の展開が微妙に接合されて影響を及ぼすことがあります。教職員の中には、校長の職務命令への不服従(例えば、卒業式での国歌斉唱の拒否、一斉学力試験の実施拒否)の根拠として、国家の教育内容への介入禁止を挙げることがあり、その支援者である教育法学者や弁護士も同様の主張を行うことがあります。ただし、伝統的な教育法学にそのまま乗り、「教師には教育内容を指示されない自由がある」と主張するのではなく、「教師による創意工夫を否定し一律に指示することは子どもの個に応じた発達を阻害する」などと、子どもの権利思想を接合した形での主張を行うこともあり、現代的な理屈付けをしようと工夫がみられます。

学校による生徒管理、校則による規律の強化などの場面に際して、弁護士や一部の研究者には、子どもの権利を侵害するといった主張や、子どもの権利条約による意見表明権を根拠に子どもに校則を決めさせるべきだといった主張も見られます。しかし、子どもの権利なるものは、その内容や性質も不明確であり、何にでも使えるが実は何も言っていない「マジックワード」として便利に使われている可能性があります。また、子どもの権利は、学校教育を既定する唯一にして絶対のものということもありません。教育水準の向上による社会の発展、治安の向上などは直接、個々の子どもの利益にはならなくとも社会全体の利益(経済学でいうところの外部経済)になり、国家予算を用いて行う教育である以上、その効率性や資源の配分といった要素も当然に問題となってくるのであり、こうした要素を考慮してはならないとしたり、無理矢理に子どもの権利にこじつけて子どもの権利一元論として理解する必要もありません。

子どもの権利条約は、アメリカを除くほぼすべての西側先進国に批准されていますが、ドイツ、フランス、イングランド、スコットランドなどの中等教育段階の学校の規律は我が国以上に厳格で非違行為に対する制裁(懲戒)も苛烈な部分があります。また、早期選抜を行うのか、選抜を遅らせるのかは、完全に国家(正確には学校制度の単位)ごとに異なっており、一方を採用する場合に子どもの権利を侵害し、一方を採用する場合には侵害しないといった単純なものではありません。

大学において、学校法務に関連する授業を取るとすれば教育法の授業を取ることが多いですが、我が国における教育法学は単なる「教育に関する法学」ではなく、国家による教育への介入の阻止という明確な目的を持った学問であることを意識する必要があります。弁護士として、学校法務に関連する業務を行うとすれば子どもの権利委員会に入ることが多いですが、子どもの権利は学校教育を切り取る唯一の観点ではなく、最良の観点でもない可能性があることを意識する必要があります。書籍において学ぶ際にも、こうした立場の影響を受けていないか、判例や法令の解釈として妥当なのかといった点をチェックしながら学ぶことが重要です。

実務法曹が意識すべきこと

日本国憲法による教育介入の限界

学校教育に関連する裁判例はいくつかありますが、最大判昭51.5.21刑集30-5-615(旭川学テ事件)、最判平2.1.18民集44-1-1(伝習館高校事件)、最判H19.2.27民集61-1-291(君が代伴奏拒否事件)は実務法曹であれば意識しておくべき判決です。旭川学テ事件の判決は、公務執行妨害被告事件の判決であり、構成要件の解釈上、学力テストの実施が日本国憲法、旧教育基本法等に違反していた場合には違法な公務としてこれを妨害した被告人に同罪が成立しないという点で、これらの法令の解釈が結論命題を導くうえで不可欠な前提として争われ、最高裁が判断を示したものであり、大法廷判決であることもあり判例としての重要性は群を抜いています。

同判決については、「国民の教育権論と国家の教育権論とが争われ、最高裁はどちらも極端なものとして採用できないとして、中間的な立場を示した」とする理解が示されることがありますが、裁判所は教育学の学説そのものの是非を判断する機関ではなくこの部分は明らかに蛇足的な言及です。同判決において重要なのは、日本国憲法、教育基本法についてどのような解釈を示したかという点です。この時代の最高裁判決や判決評釈には、どの法令のどの条項を解釈したのかが不明確なものが多々見られるところです。特に学校教育については、旧教育基本法自体が現実的な改正の可能性が低く、憲法解釈であるのか旧教育基本法解釈であるのかを区別する必要性も大きくなかったことがあり、両者があいまいなまま論じられています。

先入観抜きに虚心坦懐に同判決を読めば、憲法解釈としては、23条(学問の自由)との関係では、①国が必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてこれを決定する権能を有し、これを否定すべき理由ないし根拠はない、②子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植え付けるような内容の教育を施すことを強制することは許されない(これは26条(教育を受ける権利)、13条(幸福追求権)の規定上も許されない)という限度でしか判断をしていないと理解すべきでしょう。憲法による国家の教育への介入に対する制限は、教育という事業の性質、自由民主主義を基礎とする西側先進国においても多様であり一義的に決まらないこと等からしても、同判決の述べるとおり、立法裁量の余地は大きく法律による教育内容への介入については、広範に許容されることになるでしょう。

従来の教育法学や子どもの権利思想は、ややもすると個別の教育政策について軽率に憲法違反、子どもの権利条約違反などと断定する傾向にありましたが、憲法や条約に違反するということは稀であり、単なる政策選好の問題に過ぎず政策としての妥当性に関する主張であったのではないでしょうか。実務法曹としては、当事者の主張に惑わされず、日本国憲法、教育基本法、子どもの権利条約といった一般的抽象的な法令が、何を規定しており、個別の教育政策についてどのような意味において影響を与えるのかを精査することが必要です。

個別法令の解釈

実際の現場で学校法務を行う上で重要なのは、上記のような一般的抽象的な法令というよりも、学校教育法、地方教育行政の組織及び運営に関する法律といった個別法令です。しかし、我が国の教育法学の展開は既に述べたようなものであり、個別法令の解釈、分析についても国家の教育内容への介入の抑制という観点からのものが中心となっていました。すなわち、個別法令において、国家(教育委員会、学校管理職等を含む)による教育内容への介入(教職員への統制なども含む)を可能とする内容があったとしても、「日本国憲法、教育基本法に照らせば字義通りに解釈されるべきではなく、あくまでも指導、助言の範囲にとどまる。」「指導、助言を超えて職務命令を発令したり、処分をしたりする場合には、違憲・違法となる。」といった具合です。

その反面、個別法令の本来の意味での解釈、分析については、ほとんど行われてきていませんでした。例えば、学校教育法37条4項は、「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。」と規定しています。

※以下製作中